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2019-06-16

長野県は北が寒いとは限らない


長野県は南北に縦に長い県です。一般的に北のほうが寒いと思われていますが実は高低差があり中央高地側つまり縄文時代に人口爆発が起きた八ヶ岳南西麓は標高が1,000m あります。諏訪湖の湖面でも760mで、柳沢遺跡は318mのところに位置し半分以下の標高ということになります。長野気象台の「長野県の冬の特徴」というサイトの情報では図のような一番寒い2月上旬頃の平均最低気温が出ていて、標高の低い北のほうが気温が高くなっています。諏訪湖では毎年氷が張る「御神渡り」はよく知られていますが、北信濃では氷が厚く張ることはとんどありません。柳沢遺跡のデータはないので長野盆地の中では寒いほうではあると思われますが、ただ高社山の北側がが日本海側気候で、南側が太平洋側気候であるということからちょうど分岐点ということになります。地元では「一里一尺」といって高社山の南西側つまり中野市市街地から北西側の飯山市に行くと4km行く毎に約30cm雪が増えるということを表しています。それほど気候の変動が激しいということです。また、雪が多いことが必ずしも寒いということは一概に言えません。たとえば飯山市と野沢温泉では雪の量が倍以上ですが野沢温泉のほうが気温が高くなっています。これは盆地など山の形状など様々な要因が考えられます。
ちょっと古いデータですが、縄文遺跡の数が縄文晩期に激減した八ヶ岳南西麓に対し、北信濃は遺跡の減り方が小さいデータがありました。(データは今探しています)つまり北信濃の千曲川沿岸は縄文人から弥生人への移行、または融合・共生または交流があったことを想像できるのではないかと言われています。縄文の様式を受け継いだと思われる弥生式土器が栗林式にみられそれが栗林文化として北陸または関東に広がったのではないかと考えられています。さらに箱清水遺跡の吉田式、そして赤い土器の文化?さらには古墳時代に入って大掛かりな埴科古墳群など。北信濃の千曲川沿岸は石器時代からずっと延々と人々の営みがあった人が暮らしやすい場所であったのではないかと言えます。


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