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2019-06-03

熊谷の石戈は柳沢5号銅戈の文様に似ている


柳沢5号銅戈を武器として使用したのかは定かではないが、棒状の柄に装着したイメージ図を作ってみた。
平成27年に埼玉県熊谷市の前中西遺跡でこの5号と同じように樋の中に複合鋸歯文のある「石戈」が竪穴式住居の中で見つかった。模様のついた石戈は日本で初めてだという。その後九州金丸遺跡で出土した石戈も「樋」の中に文様はない。「石戈」は弥生時代において青銅器の剣や戈を模倣した磨製石器のことで西日本に多く出ているが、東日本では少なく、北信濃が半分以上を占めている。銅戈形の磨製石戈は祭祀用のみとして作られたものと考えられ西日本の稲作の祭祀の仕方が北信濃経由で関東平野に栗林文化の分布と同じように広まったと考えられるようだ。この石戈はどこでつくられたものか。また、関東の弥生人が柳沢の銅戈を見て模倣したのか、あるいは貴重な青銅宝器の貸し借りがあったのか?

前中西遺跡の石戈。画像提供: 熊谷市立江南文化財センター


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