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2019-05-23

柳沢遺跡とは


2007年10月に北信濃の地、中野市柳沢で誰も予想していなかったことが起きた。国土交通省千曲川河川事務所が計画していた堤防整備工事は古くからこの地を悩ませてきた大河千曲川とその支流、夜間瀬川の氾濫による水害対策だった。その工事の事前発掘調査の際に弥生時代中期の青銅器が次々と発見されたのだ。
驚いたのは青銅器埋納抗。最初は7本の銅戈と1つの銅鐸だったが、銅鐸と銅戈が一緒に埋納された青銅器埋納抗が遺跡発掘調査中に発見されたことはこの時点では日本で初めてのことだった。調査によりこの青銅器が祭祀により埋納された時期は紀元前後と推定され、その銅鐸と銅戈の模様などから埋納時期よりさらに古い製造だと判明した。製造場所は青銅文化の中心となった北部九州または近畿地方だと考えられ、いつどのような手段でまた、どんな弥生人がこの山間の柳沢という地にもたらしたのか?
それまでの常識では西日本の弥生文化先進地を中心としたその周辺でのみ見つかっていた銅鐸と銅戈による祭祀とみられる青銅製の道具の埋納形態は東日本では初めてである。
柳沢遺跡の青銅器埋納抗の発見の意味は文化先進地から遠く離れたこの内陸のしかも辺境の地と思われる柳沢において青銅器の扱い方や作法のような文化的情報もしっかりと伝承されていたことになり、日本の弥生時代の歴史観を改めざるを得なくなった。
柳沢遺跡で発見された青銅器は13 点におよび、東日本における最多の出土量を誇っています。このような「宝器」である貴重な青銅器が果たして中野市周辺だけの集団で所持できたのであろうか。その集団とはどこまで広がるのか?
柳沢遺跡は縄文時代に国内で人口が急増した中部高地の最北端に位置し、縄文から弥生時代への流れの中では北信濃は西日本とはまた違う歴史的経緯が考えられる。中国の史書「漢書地理志」に記載されているような「百余国」の一つに発展する母体が北信濃の地にも育まれていたということも考えられ、千曲川流域を中心とする北信濃は日本の歴史において興味深い地でありその中でも柳沢遺跡は最も注目される遺跡であることに間違いありません。

柳沢遺跡出土品は、平成18年から平成20年の発掘調査により発見されました。東日本で初めて発見された青銅器埋納杭から出土した複数の銅戈や銅鐸と、遺跡から出土した玉類やシカを線刻で描いた土器など、212点が2014年、国の重要文化財に指定されました。

シカの絵がある土器

現在は護岸工事が終え、看板がある。発掘による出土品は、中野市立博物館に展示してあります。

発掘から約10年が経ち、2018年3月3日・4日に中野市中央公民館で行われた
柳沢遺跡発掘調査書刊行5周年記念展示会「掘るしんin中野」資料です。
↓ PDFが開きます。
柳沢遺跡の調査成果ー弥生時代を中心にー(長野県埋蔵文化財センター)

 


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