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2019-05-20

高社山と柳沢


高社山は1,352mで長野県北部いわゆる北信地区の長野盆地と飯山盆地との境目にあります。両盆地のどこからも眺められる富士山型の山容から「高井富士」とも呼ばれています。「高井」とは北信濃の千曲川の概ね東側のあたりの「高井郡」です。また、いにしえより修験道が盛んな場所、信仰の山として崇められ別名「たかやしろ」とも呼ばれてきました。柳沢遺跡はその西側裾野の千曲川と夜間瀬川が合流する場所にあります。丘陵や山脈に囲まれた周辺の中で円錐形の独立峰としてそびえ立つように見えるのでランドマーク的な山と認識することができます。特に冬は一面が雪で真っ白になりますが、盆地の北端にある高社山を30km以上遠く離れた善光寺平中心部からも容易に確認できます。その麓にある柳沢遺跡は周りのどこからも位置を特定できることになります。また、高社山は周辺地域の気候にも大きく影響を及ぼします。特に積雪量に関しては北側の飯山盆地では平均208cmに対し柳沢遺跡より南の中野市では78cmと明らかに差があります。これは現代でも家屋が雪で潰されるのを防ぐための「屋根の雪下ろし」が飯山では必須ですが中野市ではほとんど見られません。そういう意味でも高社山の影響は地域の生活スタイルにも影響しています。これは日本海側の気候と太平洋側の気候の気候界をも意味しています。
高社山の南西麓は気候的にも降水量が少なく、日当たりも良く、特に中野市にはフルーツやきのこの栽培で日本一の生産量を誇る豊かな土地が広がっています。

地域のランドマークとしての高社山は石器時代から縄文時代そして柳沢遺跡の弥生時代をへて現在までこの地に住む人にとって「聖なる山」としての存在であることは間違いないと思われます。


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