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2019-05-18

柳沢遺跡の場所


長野県中野市の柳沢は、志賀高原から流れる夜間瀬川が山ノ内町と中野市の堺より高社山を北へ迂回し千曲川との合流地点にあります。(千曲川は新潟県に入ると信濃川と名前を変えるが長野県内では千曲川と古くから呼ばれているのでこのページではそのまま千曲川と記載します)

千曲川は山梨、埼玉、長野県境の甲武信ヶ岳山頂に水源があり、佐久市、上田市、千曲市を経て長野市で支流の犀川と合流し善光寺平を北上。丘陵の出口からまっすぐ高社山に向かい夜間瀬川と合流しながらぶつかる形で北に直角に流路をとる。そのため水流によりえぐられるので水深が深く古くから船着場として利用されることがあったと言われています。

2015年3月に開通した長野から飯山、上越、糸魚川、富山、金沢へと続く北陸新幹線が高社山のほぼ真ん中を柳沢遺跡を支点として弧を描いているようにトンネルがあります。この北陸新幹線ルートはすべて栗林文化圏を貫いています。栗林文化とは長野県中野市の栗林で見つかった弥生時代の遺跡であり、その土器や墓の作り方がいわゆる長野県の南端、伊那や木曽谷の文化とは別なものでそのように呼ばれています。栗林文化圏は新潟、富山、石川、そして東は群馬、埼玉あたりまでその影響が及ぶとされています。
柳沢遺跡はこの栗林遺跡から4キロほど下ったところにあります。
善光寺平はこの千曲川をが横切る形の柳沢あたりで北限と考えられ、その意味で善光寺平のどの辺りからも見える山容の美しい高社山は古の人からも聖なる山として崇められていたのではないかと考えられます。

北九州や出雲の先進文化を日本海を北上し翡翠の取れる糸魚川、そして上越から野尻湖を経て柳沢への陸路は比較的平坦で糸魚川から姫川沿いに安曇野に至るルートに比べると冬季でも容易に通れたと考えられます。また上越の吹上遺跡では管玉などの生産加工でも知られており。柳沢遺跡で見つかった長野県内最大量の管玉からもこの新幹線ルートが古からの道であることが想像できます。もう一つのルートとして新潟市の信濃川河口より船で川を上るルートがありますが、千曲川を舟で来た場合は十日町・津南から飯山に至るまでの急流が問題になります。いづれのルートにしても柳沢に至ったことが考えられます。そういう意味で柳沢遺跡は千曲川(信濃川)という日本最大の川のほとりにあり、ランドマークの高社山の麓に位置することから栗林または塩尻や茅野など中央高地に到達するための交通の要になったのではないかと考えられます。


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