toggle
2019-05-23

九州型と大阪湾型の銅戈


銅鐸とともに埋納されていた銅戈は槍のような棒状の柄の先にほぼ直角に取り付けて相手を殺傷する目的の武器です。その銅戈が全部で8点見つかりましたが、そのうちの1点が北部九州を中心に分布する中細型でした。そのほかはすべて大阪湾型(近畿型)です。このように大阪湾型と九州型の銅戈がともに埋納された例は今のところ他では見つかっていません。九州型は北部九州と出雲などの西側のみで、大阪湾型は大阪湾周辺に限られて発掘されています。つまり近畿地方でさえ未だ九州型の銅戈は見つかっていないことになります。銅戈を模倣した石戈は北信濃にもありましたが銅戈が東日本のそれも北信濃という海から遠く離れた場所で見つかったことも驚きです。柳沢遺跡で発掘された九州型・大阪湾型銅戈の保存状態には歴然とした違いがありました。九州型は傷みが激しくアクリル樹脂と和紙やガーゼを使って固めて取り上げたのに対し、大阪湾型は保護策を講じなくても普通に取り上げられほど7本は保存状態が良く金属成分の差があり、原料の入手ルートや製造した工房の違いがあることが歴然としました。この九州型と大阪湾型のはっきりとした違いは「樋}(ひ)と呼ばれる溝の先が閉じているのが九州型で開いているのが大阪湾型です。これらの銅戈は一体どこからどのようにこの北信濃の柳沢の地にもたらされたのか?そして一緒に埋納された意味と、特に九州型の入手経路は日本海側から舟で持ち込まれ、大阪湾型は近畿地方から陸路で持ち込まれたのではないかなどの弥生時代の流通経路に興味があります。


関連記事